加藤登紀子さん 戦後80年、言葉と歌と(下)
加藤登紀子さん(81)の代表曲「百万本のバラ」の歌詞は、加藤さんがロシア語から訳したものです。この歌は、旧ソ連末期に大ヒットし、自由を求め独立しようとする人たちに勇気を与えました。戦後80年を迎えても、戦争が絶えない世界。「百万本のバラ」も嵐の中にあるといいます。それでも、歌は生き抜くと加藤さんは語ります。
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――加藤さんが長く歌い続ける「百万本のバラ」は、ロシア語の歌詞を自ら日本語に訳されました。
1980年代半ばに、ソ連で大ヒットしていた「百万本のバラ」が日本語で歌われるのを聞く機会がありました。ただ、もとのロシア語の歌詞とはかなり違うものだったので、自分なりに原詞に忠実に訳してみたら、たちまちのうちと言ってもいいぐらいスムーズにメロディーに乗ったんです。
とてもいいなと思ったので、弾き語りでカセットテープに録音しておきました。それを聞いて、歌うように勧めてくれる人がいて、コンサートで歌うようになりました。そうしたらすごい反響で、コンサートにバラの花束が届くまでになったんです。
――その後、「百万本のバラ」を通じて旧ソ連圏の人たちと知り合うことになるのですね。
ペレストロイカ(ゴルバチョフ政権下での改革)の時代のソ連でこの歌を歌ったロシアの国民的歌手、アーラ・プガチョワさんを、日本に招いて共演することができました。
大失恋の歌なのに高揚感を与える
「百万本のバラ」は、19世紀のジョージアの貧しい天才画家ニコ・ピロスマニがフランスの女優に恋した物語が、歌詞のもとになっています。ピロスマニの恋物語に出会って作詞した反体制派の詩人、アンドレイ・ボズネセンスキーさんや、作曲者でラトビアの独立運動を率いたライモンズ・パウルスさんともお会いできました。
「百万本のバラ」は、旧ソ連から多くの国々が独立していくときに、人々に勇気を与えた歌なのです。大失恋の歌なのに、聞く人に高揚感を与えるのは、「心の中の思いを必ず表現する」という勇気をくれるからだと思います。
【連載】加藤登紀子さん 戦後80年、言葉と歌と 「語学の扉特別編」
「百万本のバラ」の故国ともいえるジョージアをコンサートのために訪れた加藤登紀子さんは、「まさか」と思う出来事を経験します。長い人生を振り返り、歌への熱い思いにつながっていると加藤さんが語ったこととは……
――「百万本のバラ」の主人…